ここでは、この「洋食グリルヤマモト」を経営するにあたって、私なりのこだわりや日々考えていることなどを記しています。
いわば、グリルヤマモトの中核の部分を紹介します。
お客様には、グリルヤマモトのことをもっと知って頂き、より深くお食事の時間を楽しんで頂きたいと思っています。
また、これから飲食店の開店を目指す方が読んでいただければ、少しでも参考になることがあると思います。
生まれ育った町、萱島
大阪の寝屋川市の端っこの町萱島。
京阪萱島駅南西に10分と歩けば門真市に入り、東に少し行けば四條畷市に入る、寝屋川市の端っこの町。
駅は少し大きく準急の停車駅で、普通と準急の連絡駅でもあり地上からホームの真ん中を貫く御神木の楠木がシンボルです。
私はこの町で生まれ育ちました。
私の両親が駅前で弁当屋を経営しており、駅前の商店街には軒を連ね、人の往来が盛んで、自転車で通行出来ないくらいに賑わっていました。
子供の頃の私の眼前に広がる「寝屋川市萱島」という町は、活気に満ち溢れ、キラキラ光を放つ愛すべき故郷でした。
灯火が消えた光景
留学でしばらく海外に移住し、数年の間地元を離れて過ごしていた時期。
料理の修行のために無我夢中に働いていた時期。
数年の時はあっという間に経過し、故郷を顧みることなどすっかり忘れ去っていました。
そして青年と呼ばれる年齢は過ぎ去り、すっかり大人になった頃、久しぶりに故郷を振り返ってみた私の目に映った故郷の景色は変わり果てたものでした。
商店街にはシャッターが立ち並び、人の往来もまばらになり、煌々と輝いていた灯火がその力強い勢いを失ってしまったかのように見えたのです。
両親の営む弁当屋も売上不振に不安を抱かざるを得ない状況になっており、笑顔の絶えなかった顔色は曇ってしまっていました。
私が子供の頃から過ごし、愛していた光り輝く故郷の姿が失われようとしていたのです。
萱島に再び火を灯そう。
私はまず初めに、両親の弁当屋を手伝うことから始めました。
フレンチの修行で磨いた腕前と、その傍、独学で試行錯誤を繰り返した末に完成させたオムライスを今こそ活かす時だと腕を奮いました。
有難いことにお客様に恵まれ、テレビの取材の依頼が来るほどの評判をいただき、経営を回復させることが出来ました。
そして嬉しいことに、イベント出店など他所に出向いてオムライスを提供する機会も頂き、私は自信をつけることができたのです。
ちょうどその頃から、次の夢を抱くようになりました。
「萱島に自分の店を出したい!」
寝屋川でも辺境の萱島は、ビジネスの手が遠ざかってしまっていました。
ただの乗り換えの駅。
そこに自分が店を出し、流行りの店として認知されれば、この辺境の地にも活気が戻ってきて「萱島でもビジネスができる」と多くの人に思ってもらえるのではないか。
そうすれば、私が子供の頃に見ていた賑やかな光景を取り戻すことができると思ったのです。
萱島に再び火を灯そう。
地域貢献 -誰がために働くのか-
かくして、グリルヤマモトは萱島にオープンすることになりました。
私が飲食店を経営するうえで、お店の繁栄や利益を考える事は当然ですが、もう一つ、自分以外にも良い影響があることが重要だと考えました。
近隣にお店と情報交換をしたり、協力しあったり、時にはコラボ商品を販売したり。
お客様だけでなく、地域全体にとって「このお店があって良かった」と多くの人に思ってもらえるお店作りをすることで、地域に愛されるお店になれると思います。
長く経営を続けていく為の要素の一つだと思います。
まとめ
・萱島に賑わいを取り戻したいと思い、出店した「洋食グリルヤマモト」
・自分以外の為になる事を考えるのも少しは必要